今回ご紹介するのは
江戸時代の小食主義
水野南北「修身録」を読み解く
若井朝彦 (わかい・ともひこ) 著 花伝社 です。
目 次
あなたの食に対する価値観 ガラッと変わるかもしれませんよ?!
タイトルからは全く想像できない読了感
短絡的に
江戸時代なんだし今に比べたら
米や作物の供給量も少ないはずだから
全体的にどうしても小食になるのが当たり前なんじゃないの?
きっと巷によくある清貧のすすめ的な内容なんだろうなぁ〜。
そう思っていた予想は、物の見事に覆されました。
200年以上も前に書かれた内容なのに
現代の私たちにとっても大いに役立つヒントが
そこかしこに散りばめられているんです。
「修身録」著者 水野南北について
「修身録」 著者の水野南北という人物は
本書で初めて知ったので調べてみました。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
概要
◎ 10歳前後の子供の頃から盗み酒を覚え、博打と喧嘩に明け暮れた挙句
18歳頃に牢屋に入る。
◎ 牢屋内で人相と人の運命に相関関係があることに気づき観相に関心を持つ。
◎ 出牢後に人相見から死相が出ていると言われ、運命転換のため出家を決意する。
◎ 出家の条件の「1年間、麦と大豆だけの食事を続ける」を遂行したところ、
顔から死相が消えただけでなく、運勢も改善した。
◎ 体験を活かし観相学に没頭し、髪結い床の見習い3年、湯屋の三助業3年、
火葬場の隠亡焼き3年と徹底して観相の研究を実施する。
◎ 観相学の蘊奥を究め南北相法を完成し、節食が運勢を改善することを唱えた。
波乱万丈で、なかなかドラマチックな人生を送った人物でした。
本書作者 若井朝彦氏について
若井朝彦 (わかい・ともひこ)1960年京都市生。考證と執筆では近世近代の独墺音楽、また慶長以降の上方文化がおもな守備範囲。書誌と造本は壽岳文章に私淑。百科書林同人として出版にも携わる。これに並行して、発掘調査、地図製作、観光業、手工藝ほか多様な職歴を有す。酒類を扱うことも多く、JSAの会員でありソムリエの呼称を持つ。2015年に京都を考える集い「上京の石たち」を立ち上げ。友人に兄事して「新日本延命学」を習うことは四十年近く、水野南北研究も二十年を越える。こころとからだのための「上京福寿館」代表。
本書より
構成
◎ 1部 水野南北の小食主義
・第一章 いのちと摂食
・第二章 摂食と立身出世の見定め
・第三章 摂食と人間関係の綾
・第四章 摂食とからだとこころ
・第五章 福禄寿の思想
◎ 2部 水野南北小伝
「修身録」の成立と南北その人
感想
小食主義というからには、食事を減らすことで病弱の人は健康に
元気な人は更に健康で長生きできるようになるというのは容易に想像できるけれど
「食事を減らす=献食する」ことで徳を積むことができて
なぜか開運して、どういう訳か運勢も良くなり
おまけに長生きできるだなんて、全く予想もしませんでした。
いま食べている三膳から半膳を減らしてみよ、それよりも二膳にしてみよ、というのが南北の教えである。それは何といってもからだのためである。しかし食を減ずるのは、そのためだけではないと言う。〜中略〜南北は、食を減ずることがそのまま食を献ずることになるのだと言っている。それはまず仏への捧げものであり、そしてみずからの来世への捧げものである。1部 第一章 いのちと摂食 17. 献食について P.43 より抜粋
まとめ
「徳を積む」と一口に言っても
人生の中で具体的に何をどう行動すれば徳を積むことに値するのか
抽象度も高く漠然とし過ぎて、何となく難しく感じていたけれど
単純に1日の食事を3食から2食に減らすだけで
減じた分の食事は、特に何もしなくても献食したことになり
日々徳を積んで、開運して運勢が良くなって、立身出世して、健康で長生きできるなんて
一体、一石何鳥なの?!って感じです。
当時たまたまダイエット中だったということもあって
挫けそうだったマインドに
想定外の角度で、水野南北の小食主義
ド刺さりしました。
今は徳を積んでいるんだ、開運して運勢も良くなって、
健康的に痩せて長生きするんだ〜と思って
実は現在もダイエット=1日2食=献食を
絶賛鋭意継続中〜!!
最後に
「修身録」の第一巻の冒頭にある
「自序」を紹介します。
人は食によって成り立つ。たとえどんな良薬をつかったとしても、食なしにいのちを保つことはできない。それゆえ人にとって本当の良薬とは食なのだ。「修身録」第一巻自序より
You are what you eat…
コメントを残す